相続・手続き 2026-09-09
遺言の種類と選び方 ― 自筆証書・公正証書・秘密証書、要件と費用と向き不向き
遺言には三つの形式があります。自分で書く自筆証書、公証人が作る公正証書、めったに使われない秘密証書。それぞれの要件(一つ欠けると無効)、費用、検認の要否、向いている人を整理し、遺言を書く前に決めておく三つのこと(財産の一覧・誰に何を・執行者)を書きます。
この記事の位置: [亡くなる前にできること] → 亡くなってすぐ(3か月まで) → 相続人と財産を確定する → 分け方を決める → 名義を変える・税金(10か月〜3年) → 相続した財産をどうするか → 状況別(当てはまる方だけ)
「公正証書で作るべきですよね。ちゃんとした遺言にしたいので」。74歳の男性は、公証役場の予約を取る前に、私のところに来ました。財産は自宅と預金二口座、渡す相手は妻と長男と長女。分け方は決まっている。「ちゃんとした」の中身を聞くと、「なくならない、無効にならない、あとで揉めない」。三つとも、公正証書でなくても、3,900円で手に入ります。この記事は、その男性が公証役場に行かなかった話です。
遺言は、書き方が法律で決まっていて、要件を一つでも欠くと無効になります。「自分の意思ははっきり書いてある」では足りません。形式は三つ。自筆証書遺言、公正証書遺言、秘密証書遺言です。実務で使われるのはほぼ前の二つで、ここではその二つを中心に整理します。
自筆証書遺言は、本人が全文、日付、氏名を自分で書き、押印したものです。パソコンで打った本文は無効。日付は「令和8年9月吉日」のように特定できない書き方は無効。財産目録だけは2019年からパソコンや通帳のコピーでよくなりましたが、目録の各ページに署名と押印が要ります。費用はかからず、いつでも書き直せます。弱点は、紛失・改ざんのおそれと、亡くなったあとに家庭裁判所の検認が要ること。この弱点を埋めるのが、別の記事で書いた法務局の保管制度(一通3,900円、検認不要)です。
公正証書遺言は、公証役場で、公証人が本人の口述をもとに作成し、証人二人が立ち会う遺言です。原本は公証役場に保管され、紛失も改ざんも起きません。検認も不要です。公証人が内容の法的な組み立てに関わるので、要件不備で無効になるリスクが最も低い形式です。本人が公証役場へ行けない場合は、公証人が自宅や病院へ出張することもできます(出張の加算料がかかります)。
公正証書の費用は、公証人手数料令で財産の額に応じて決まります。相続人・受遺者ごとに受け取る財産の額で手数料を計算して合算し、全体が1億円以下なら11,000円の遺言加算が付きます。たとえば妻に2,000万円、長男に1,500万円を渡す遺言なら、23,000円+23,000円+11,000円で57,000円が公証人手数料の目安です。これに証人二人の日当(公証役場で紹介してもらう場合、一人5,000〜15,000円程度)、専門家に案文づくりを頼む場合の報酬が加わり、合計では10万円台からになるのが実務の感覚です。
| その人が受け取る財産の額 | 手数料 |
|---|---|
| 100万円以下 | 5,000円 |
| 100万円超〜200万円以下 | 7,000円 |
| 200万円超〜500万円以下 | 11,000円 |
| 500万円超〜1,000万円以下 | 17,000円 |
| 1,000万円超〜3,000万円以下 | 23,000円 |
| 3,000万円超〜5,000万円以下 | 29,000円 |
| 5,000万円超〜1億円以下 | 43,000円 |
| (全体が1億円以下のとき) | 遺言加算 11,000円 |
秘密証書遺言は、本人が署名・押印した遺言書を封印し、公証人と証人二人の前で「自分の遺言である」と申述する形式です。内容を誰にも知られずに存在だけを証明できますが、内容は公証人が確認しないので要件不備のリスクが残り、検認も必要です。使われることはほとんどありません。
| 自筆証書 | 公正証書 | 秘密証書 | |
|---|---|---|---|
| 作り方 | 全文・日付・氏名を自書、押印(財産目録はPC可) | 公証人が作成、証人2人 | 自書または代筆した書面を封印し、公証人と証人2人の前で申述 |
| 費用 | 0円(法務局保管は3,900円) | 手数料令による(財産額に応じて数万円〜)+証人・専門家 | 11,000円+証人 |
| 保管 | 自宅または法務局 | 公証役場に原本 | 自分で保管 |
| 検認 | 必要(法務局保管なら不要) | 不要 | 必要 |
| 無効のリスク | 要件不備で無効になりやすい | 最も低い | 内容を公証人が見ないので残る |
選び方の目安です。私の実務での標準は、自筆証書遺言を専門家(行政書士など)の支援で預けられる形に仕上げ、法務局の保管制度で預ける、という組み合わせです。財産がシンプルなら報酬は3万円程度からで、公正証書との差は10万円以上になります。公正証書遺言を勧めるのは、財産の構成が複雑で条項が多い、相続人以外の人(内縁の配偶者、世話になった人、団体)に渡す、あるいは本人の判断能力に不安が出始めていて、公証人が本人の意思を確認した記録を残しておきたい場合です。最後の場合は、あとで「書いたときに判断能力がなかった」と争われにくくなります。
どの形式でも、書く前に決めておくことが三つあります。一つ、財産の一覧。不動産は登記事項証明書の表示で、預貯金は金融機関と支店と口座番号で特定します。名寄帳と通帳を並べて作ってください。二つ、誰に何を渡すか。遺留分の記事で書いたとおり、遺留分を下回る配分は請求の種になるので、遺留分を意識して組み立てます。三つ、遺言執行者。誰が実行するかを書かない遺言は、実行の段階で相続人全員の協力が要り、止まります。
比べた数字を書きます。公正証書の場合。財産は自宅(評価額1,800万円)と預金2,200万円で合計4,000万円。妻に自宅と預金600万円で2,400万円、長男と長女に預金800万円ずつ。公証人手数料は、妻の分2万3,000円、長男と長女の分1万7,000円ずつ、遺言加算1万1,000円、合わせて6万8,000円。証人二人を公証役場で紹介してもらって2万円。私の文案作成と段取りで7万円。合計約15万8,000円。自筆証書遺言を保管制度で預ける場合。本人が全文を自書し、財産目録は登記事項証明書と通帳のコピーに署名押印。私の文案整理と申請書の下書きで3万円、法務局の手数料3,900円。合計3万3,900円。差は約12万4,000円。
「なくならない」は、法務局が原本を保管するので、公正証書と同じ。「無効にならない」は、法務局が日付・署名・押印の形式を確認するので、形式の不備は防げる。内容の有効性は法務局が見ないので、ここは私が文案の段階で確認する。「あとで揉めない」は、妻に自宅、子に預金800万円ずつで、子の遺留分(各500万円)を上回っているので、遺留分の請求は来ない。付言に「自宅を妻に残す理由」を一行入れる。三つの「ちゃんとした」を、3万3,900円で満たせました。
公正証書を勧めた例も、同じ月にありました。81歳の女性で、軽い物忘れが始まっている。財産は自宅とアパート一棟と預金で約9,000万円、渡す相手に、相続人でない甥が入る。この場合、公証人が本人の判断能力を確認した記録が残ることに、10万円以上の価値がある。あとで「書いたときに判断能力がなかった」と争われる可能性が、74歳の男性より格段に高いからです。こちらは公正証書で、費用は約21万円でした。
最後に、遺言は「一度書いたら終わり」ではありません。財産が変わった、相続人が亡くなった、気持ちが変わった。そのたびに書き直せます。新しい日付の遺言が古い遺言に優先します。数年に一度は見直す、と決めておくと、書いたときと状況が変わったまま亡くなる事態を減らせます。
「ちゃんとした遺言にしたい」と言った男性は、便箋ではなくA4の用紙に自筆で書き、法務局に預けて、3万3,900円で帰りました。「私の実務での標準は、自筆証書遺言を専門家の支援で仕上げて保管制度で預ける組み合わせ」と本文に書いたのは、この男性のような家が、相談の大半だからです。公正証書は、81歳の女性のような家のためにあります。二つの家で、遺言の形式は、財産と年齢と相手で決まりました。
執筆:長澤 湊(宅地建物取引士・行政書士・測量士補) 内容確認日:2026-09-16
この記事は制度と手続きの一般的な説明で、個別の事案についての法律・税務の相談や判断ではありません。制度や数字は内容確認日の時点のものです。ご自身の事案は、弁護士・司法書士・税理士・行政書士など、該当する専門家に確かめてください。