相続・手続き 2026-09-07
自筆証書遺言の保管制度 ― 法務局に預けると何が変わるか、検認との違い
2020年7月に始まった法務局の自筆証書遺言書保管制度。手数料3,900円で預けると、紛失・改ざんの心配がなくなり、家庭裁判所の検認が不要になります。預ける前の様式ルール、預けたあとに相続人がすること、公正証書遺言との使い分けを整理します。
この記事の位置: [亡くなる前にできること] → 亡くなってすぐ(3か月まで) → 相続人と財産を確定する → 分け方を決める → 名義を変える・税金(10か月〜3年) → 相続した財産をどうするか → 状況別(当てはまる方だけ)
84歳の女性が、封筒に入った遺言書を持って来ました。三年前に自分で書いたもので、「タンスに入れてあるけど、私が死んだあと、誰が見つけてくれるのか心配で」。中身を見せてもらうと、日付、署名、押印は揃っていて、財産は自宅と預金。娘二人に半分ずつ。形式はほぼ整っていました。心配なのは、タンスです。この記事は、その遺言書を法務局に運んだ話です。
自筆証書遺言は、紙とペンと印鑑があれば一人で作れる、いちばん手軽な遺言です。その手軽さの裏に、二つの弱点がありました。一つは、家のどこかにしまった遺言書が見つからない、あるいは見つけた人が破棄・改ざんするおそれ。もう一つは、相続が始まったあとに家庭裁判所で「検認」という手続きを経ないと、登記にも銀行にも使えないことです。2020年7月10日に始まった「自筆証書遺言書保管制度」は、この二つの弱点を法務局が預かることで解消する仕組みです。
自筆証書遺言をめぐる制度の変化
- 2019年1月13日 財産目録の自書が不要に(パソコン作成や通帳コピーでも可(各ページに署名押印))
- 2020年7月10日 法務局の保管制度が開始(預けた遺言書は検認不要に)
- 2021年 死亡時通知の運用開始(指定した人に、死亡確認後に法務局から通知(2023年10月から3人まで))
制度の中身はシンプルです。遺言者本人が、住所地・本籍地・所有不動産の所在地のいずれかを管轄する法務局(遺言書保管所)に出向き、自分で書いた遺言書を預けます。手数料は一通3,900円。法務局は遺言書の原本を保管し、画像データも記録します。預けた遺言書は、本人が生きている間は本人だけが閲覧・撤回でき、他人が見ることはできません。
預けるためには、遺言書が制度の様式に合っている必要があります。用紙はA4、片面のみ、上下左右に決められた余白(上5ミリ、下10ミリ、左20ミリ、右5ミリ)を空け、各ページに番号を振り(1枚だけなら不要)、綴じない。本文は全文自書、日付と氏名を自書し、押印します。財産目録だけはパソコンで作ったものや通帳のコピーでもよく(2019年1月以降)、その場合は目録の各ページに署名と押印が要ります。法務局は様式と、日付・署名・押印といった形式の要件を確認しますが、遺言の内容が有効かどうかは審査しません。「預かってもらえた=内容が法的に通る」ではない点は覚えておいてください。
本人が亡くなったあと、相続人や受遺者は、法務局に「遺言書情報証明書」(一通1,400円)を請求できます。これが遺言書の写しにあたり、相続登記や金融機関の手続きにそのまま使えます。家庭裁判所の検認は不要です。証明書を誰かが受け取ると、法務局は他の相続人全員に「遺言書が保管されている」旨を通知するので、一部の相続人だけが内容を知って手続きを進める、ということも起きにくくなっています。
さらに、預ける時点で通知先を指定しておくと(2023年10月からは3人まで。相続人でない人も指定できます)、本人の死亡が戸籍で確認された時点で法務局からその人に通知が届く「死亡時通知」も使えます。遺言書の存在を誰にも言わずに亡くなる、という事態を防ぐ仕組みです。
検認との違いを整理しておきます。検認は家庭裁判所が遺言書の状態(形、加除訂正、日付、署名)を確認し記録する手続きで、申立てから完了まで一、二か月かかります。検認も遺言の有効性を判断するものではありません。つまり、保管制度は「検認と同じ確認を、生前に法務局が済ませておく」制度だと考えると分かりやすいです。自宅で保管した自筆証書遺言は検認が必須、法務局に預けた自筆証書遺言は検認不要、公正証書遺言はもともと検認不要、この三つの並びになります。
では公正証書遺言と、どちらを選ぶか。公正証書遺言は公証人が作成し、証人二人が立ち会い、内容の法的な組み立てまで公証人が関わるので、無効になるリスクが最も低い形式です。公証人手数料は財産額で決まりますが、証人二人の手配や専門家の関与まで含めた実費は10万円台からになることが多く、私の経験では10万円を下回った例はありません。保管制度は3,900円で紛失と検認の問題は解決しますが、内容の有効性は自分で担保する必要があります。財産が不動産を含み、相続人の間で意見が分かれそうな場合は公正証書、財産がシンプルで相続人同士の関係が良好なら保管制度、というのが私の目安です。
| 形式 | 作り方 | 費用の目安 | 検認 | 内容の有効性 |
|---|---|---|---|---|
| 自筆証書(自宅保管) | 全文自書 | 0円 | 必要 | 自己責任 |
| 自筆証書(法務局保管) | 全文自書+様式に従う | 3,900円/通 | 不要 | 自己責任(法務局は形式のみ確認) |
| 公正証書 | 公証人が作成、証人2人 | 実費10万円台から(証人の手配を含めると15万円前後になることも) | 不要 | 公証人が関与 |
私の実務では、保管制度を第一候補に勧めています。これまで「きちんとした遺言」といえば公正証書という空気がありましたが、それは自筆証書の弱点(紛失と検認)を埋める手段が他になかったからで、保管制度がその穴を3,900円で塞いだ以上、公証役場を勧める理由は、内容が複雑な場合を除いてほとんど無くなりました。ただし、保管の申請書は法務局の様式に沿って作る必要があり、オンラインで下書きもできますが、入力欄の意味が取りにくい箇所があって、高齢の方が一人で仕上げるのは難しいのが実情です。そこで標準になりつつあるのが、行政書士に遺言の文案と申請書の準備を手伝ってもらい、本人が法務局へ出向いて預ける、という形です。シンプルな遺言なら行政書士の報酬は3万円程度からで、公正証書(証人や専門家を含めて10万円台から)と比べると、同じ内容の遺言で10万円以上の差になります。専門家の出番は、公正証書を勧めることから、自筆証書を「預けられる形に仕上げる」ことへ移ってきていると感じています。
遺言そのものが、まだ少ない、という現実も書いておきます。公証役場で作られる公正証書遺言は年に10万件を超える程度、法務局の保管制度の利用は年に2万件前後の水準で(いずれも2026年9月時点で公表されている直近の年間件数の規模感です)、年間の死亡数が150万人を超えることと比べると、公的な形で残される遺言は全体の1割に満たない計算になります。残りの大半は、遺言を書かずに亡くなる人です。法定相続分が決まっているから、家族を名指しで区別したくないから、遺産が数千万円で大きくないから。理由はさまざまですが、相続の相談で実際に揉めているのは、まさにその「数千万円で、遺言がない」層です。書く文化がないからこそ、3,900円と数万円で預けられる形ができた意味は大きいと思っています。
現場で直したのは、三か所です。一つ、用紙。便箋に書かれていて、余白が制度の様式(上5ミリ、下10ミリ、左20ミリ、右5ミリ)に足りない。A4の用紙に、本文を同じ内容で書き直してもらいました。二つ、財産目録。自宅の表示が「自宅の土地と建物」だけだったので、登記事項証明書のとおりに所在・地番・家屋番号を書いた目録をパソコンで作り、各ページに署名と押印。三つ、預金の口座を支店名と口座番号で特定。ここまでで、私の関与は文案の整理と申請書の下書きで、報酬は3万円。書き直しには、女性の手で二日かかりました。
法務局には、女性本人が娘と一緒に出向きました。予約制で、予約から二週間。当日は、遺言書、申請書、本籍入りの住民票、本人確認書類、手数料3,900円。窓口で様式の確認に40分ほどかかり、その場で保管証を受け取りました。死亡時通知の通知先には、長女を指定。これで、女性が亡くなったとき、戸籍で死亡が確認され次第、長女に法務局から通知が届きます。タンスの心配は、その日で終わりました。
預けに行って、その日は持ち帰りになった例も書いておきます。別の相談で、70代の夫婦が、一枚の便箋に二人で書いた遺言書を持って法務局へ行きました。「夫が先に亡くなったら全部を妻に、妻が先なら全部を夫に」。気持ちはよく分かる文面ですが、民法は二人以上が同じ書面でする遺言(共同遺言)を認めていません(975条)。この形は、預ける以前に遺言として効力がありません。窓口では預かってもらえず、二人はそれぞれ一通ずつ書き直し、別々に予約を取り直しました。手数料も一人3,900円ずつで、合わせて7,800円です。もう一つ窓口で多いのが、封をした封筒のまま持って行く例です。法務局は中身を確かめて画像に記録するので、遺言書は封筒に入れず、ホチキスで綴じずに持って行きます。自宅で保管するなら封をしておくのが普通なので、ここは逆になります。
預けたあとにも、手続きが残ります。遺言者が引っ越したり名字が変わったりしたら、法務局に「変更の届出」をします(手数料はかかりません)。届け出た住所や連絡先が古いままだと、法務局からの連絡が届かないことがあります。中身を書き換えたいときは、保管の申請を撤回して遺言書を返してもらい(撤回も手数料はかかりません)、書き直した遺言書をあらためて預けます(再び3,900円)。生きているうちに自分で中身を確かめたいときは閲覧を請求でき、モニターでの閲覧は1,400円、原本の閲覧は1,700円です(いずれも2026年9月時点)。84歳の女性には、この三つを一枚の紙に書いて、保管証と一緒にしまってもらいました。保管証には保管番号が書いてあり、届出や閲覧のときに使います。
相続が始まったあと、相続人の側でつまずきやすいのは、遺言書情報証明書を請求するときの添付書類です。請求には、遺言者の出生から死亡までの戸籍と、相続人全員の戸籍と住民票が要ります。法定相続情報一覧図の写しがあれば、それで代えられます。別の相談では、亡くなった父の遺言が法務局にあると分かった長男が、まず一覧図を作り、それを添えて証明書を郵送で請求しました。戸籍を集めて一覧図ができるまでに三週間、証明書が届くまでに十日ほど。自宅で見つかった遺言書なら、ここから家庭裁判所の検認に一、二か月かかるところです。証明書は一通1,400円で、登記用と銀行用に二通、2,800円。検認がない分だけ早く、父が亡くなってから二か月足らずで相続登記の申請までたどり着きました。
遺言者が生前に法務局へ出向いて遺言書を預ける(3,900円)。法務局は原本と画像を保管する。遺言者が亡くなると、指定した人(3人まで)に死亡時通知が届く。相続人は遺言書情報証明書(1通1,400円)を請求し、検認を経ずにそのまま相続登記や銀行の手続きに使う。証明書が出ると、他の相続人にも保管の通知が届く。
手数料は2026年9月時点。死亡時通知は、預けるときに通知先を指定した場合だけ届きます。
比較のために、同じ内容を公正証書にした場合の費用も、女性に示しました。財産は自宅(評価額1,200万円)と預金1,800万円で合計3,000万円、娘二人に1,500万円ずつ。公証人手数料は受け取る人ごとに計算され、1,500万円の場合は各26,000円、合わせて52,000円、これに遺言加算13,000円と証書の枚数分の手数料が加わって、7万円前後。証人二人を公証役場で手配すれば一人あたり1万円前後で2万円。専門家に文案と段取りを頼めば5〜10万円。合計で14〜19万円が目安です。保管制度は3,900円と行政書士の3万円で約3万4,000円。女性のように、財産が自宅と預金で、分け方が単純で、娘二人の仲が良い場合は、この差額に見合う「公正証書でなければならない理由」がありませんでした。
最後に一つ。保管制度を使うと決めたら、遺言書の内容は下書きの段階で誰かに読んでもらってください。法務局は内容を見てくれません。ただし、読んでもらっても消せないものがあります。遺留分です。「妻に全部」と書いても、子には法律で保障された取り分(遺留分)が残り、遺言の書き方でこれを排除することはできません。生前に家庭裁判所の許可を得て遺留分を放棄してもらうか、廃除の要件を満たす場合を除けば、専門家が書いても同じです。読んでもらう目的は遺留分を消すことではなく、遺留分の請求が来ることを前提に、誰にどれだけ渡すかを組み立て直すことです。預ける前の一手間が、預けたあとの十年を左右します。
タンスの遺言書は、法務局の保管庫に移りました。三年間、女性が心配していたのは遺言の内容ではなく、見つけてもらえるかどうかでした。この記事の最後に「預ける前の一手間が、預けたあとの十年を左右する」と書きました。この女性の一手間は、便箋をA4に書き直した二日間です。3,900円で終わる制度が、書き直しの二日を惜しんで使われないのは、もったいないことだと思っています。
執筆:長澤 湊(宅地建物取引士・行政書士・測量士補) 内容確認日:2026-10-13
この記事は制度と手続きの一般的な説明で、個別の事案についての法律・税務の相談や判断ではありません。制度や数字は内容確認日の時点のものです。ご自身の事案は、弁護士・司法書士・税理士・行政書士など、該当する専門家に確かめてください。
参考(公式)
この記事の制度と数字は、次の一次情報で確かめられます(2026-10-13 確認)。
- 法務省「自筆証書遺言書保管制度」 ― 預け方、手数料、相続人が証明書を取る手続き
- e-Gov 法令検索「法務局における遺言書の保管等に関する法律」 ― 保管の申請・撤回・閲覧、遺言書情報証明書、検認の適用除外(11条)
- e-Gov 法令検索「民法」 ― 968条(自筆証書遺言の方式)、975条(共同遺言の禁止)