相続・手続き 2026-09-09
限定承認 ― 相続放棄と単純承認の間にある、使われない選択肢
「借金がいくらあるか分からないが、実家は残したい」。そのための制度が限定承認です。プラスの財産の範囲でだけ借金を引き継ぐ、理屈の上では理想的な選択肢ですが、実際の申立ては年に数百件しかありません。相続人全員で申し立てる、3か月の期限、清算手続きの手間、みなし譲渡所得税という落とし穴。使われない理由と、それでも使う場面を整理します。
この記事の位置: 亡くなる前にできること → [亡くなってすぐ(3か月まで)] → 相続人と財産を確定する → 分け方を決める → 名義を変える・税金(10か月〜3年) → 相続した財産をどうするか → 状況別(当てはまる方だけ)
父が個人で工務店をやっていて、亡くなった時点で、取引先への支払いがいくら残っているか、誰にも分かりませんでした。分かっている借金は銀行の800万円と、父が連帯保証人になっていた知人の借入1,200万円。財産は、実家(評価額1,800万円)と預金300万円と、工務店の道具と車。相続人は母と長男。「実家だけは残したい。でも借金が全部でいくらか分からない」。この場面で、私が選択肢に挙げたのが限定承認でした。挙げたうえで、最後は使いませんでした。この記事は、その理由の話です。
相続には三つの選択肢があります。全部引き継ぐ単純承認、全部引き継がない相続放棄、そして、プラスの財産の範囲でだけ借金を引き継ぐ限定承認。教科書では三つ並んで出てきますが、実務での使われ方は極端に偏っています。相続放棄が年に20万件を超えるのに対して、限定承認は年に数百件程度(司法統計で公表されている水準です)。なぜ使われないのか、そしてどんなときに使うのかを書きます。
限定承認の仕組みは、こうです。相続財産で借金を払い、残ればもらう、足りなくても自分の財産からは払わない。借金の相続の記事で書いた「借金がいくらあるか分からない」場面で、放棄せずに済む道です。さらに、「先買権」という仕組みがあり、実家などの特定の財産を、家庭裁判所が選んだ鑑定人の評価額で相続人が優先的に買い取れます。借金があっても実家は残したい、という希望に応える制度です。
| 単純承認 | 限定承認 | 相続放棄 | |
|---|---|---|---|
| 引き継ぐもの | 財産も借金も全部 | 財産の範囲内で借金も | 何も引き継がない |
| 誰が | 各相続人 | 相続人全員で | 各相続人が単独で |
| 期限 | (3か月経過で自動的に) | 3か月以内に家裁へ | 3か月以内に家裁へ |
| その後の手続き | なし | 官報公告・債権者への弁済・換価(清算) | なし |
| 税金の落とし穴 | なし | みなし譲渡所得税(準確定申告) | なし |
| 年間の件数の規模 | 大多数 | 数百件 | 20万件超 |
使われない理由の一つ目は、相続人全員で申し立てなければならないことです。相続放棄は一人でできますが、限定承認は共同相続人の全員が揃って家庭裁判所に申述する必要があります。一人でも単純承認していれば(相続財産を処分していれば)できません。兄弟の一人が疎遠、行方不明、反対、という家では、この時点で使えません。
二つ目は、期限が3か月であることです。相続放棄と同じく、相続を知ってから3か月以内に家庭裁判所に申述します。全員の合意を取り付け、財産目録を作って申述するには、3か月は短い。期間の伸長を申し立てることはできますが、それも含めて手続きが重い。
三つ目が、清算手続きの手間です。限定承認が受理されると、相続人(複数なら家庭裁判所が選んだ相続財産清算人)は、官報で債権者に対して請求を申し出るよう公告し、申し出た債権者に相続財産から按分で弁済し、財産を換価(競売が原則、先買権を使えば鑑定評価で取得)する、という清算を自分で行います。破産手続きを自分でやるようなもので、弁護士に頼むのが普通で、費用がかかります。
四つ目が、最も知られていない落とし穴で、「みなし譲渡所得税」です。限定承認をすると、税務上は、亡くなった人が相続開始の時点で財産を時価で相続人に売ったものとみなされます。亡くなった人が昔に安く買った実家なら、時価との差が譲渡所得となり、亡くなった人の所得として準確定申告(相続開始から4か月以内)で所得税がかかります。この税金は相続債務として相続財産から払うので相続人の持ち出しにはなりませんが、実家を残すために限定承認したのに、その実家の含み益に税金がかかって財産が減る、という結果になります。
それでも限定承認を使う場面は、あります。借金の額が本当に分からず、しかし特定の財産(実家、事業用の資産、先祖の土地)をどうしても残したい。相続人が少なく、全員が協力できる。弁護士費用と税金を払っても残す価値がある。この三つが揃った場合です。実務で見る例は、亡くなった人が個人事業や連帯保証をしていて債務の全容がつかめない、という相続です。
検討した順に書きます。限定承認の条件は、母と長男の二人が揃って申述すること。二人とも協力的で、ここは問題なし。3か月の期限は、相続を知ってから一か月半が過ぎていて、残り六週間。財産目録を作り、家庭裁判所に申述するには足りるが、余裕はない。清算の手続きは弁護士に頼む前提で、費用の見積は着手金30万円と、清算に応じた報酬で合計60〜80万円。ここまでで、費用は払える範囲でした。
止まったのは、みなし譲渡所得税でした。実家は、父が28年前に土地1,400万円で買い、建物は自分で建てた。土地の時価は不動産会社の査定で2,600万円。限定承認をすると、父が時価2,600万円で長男に売ったものとみなされ、譲渡所得は2,600万円から取得費1,400万円と諸費用を引いた約1,150万円。長期譲渡で約20%、約230万円の所得税と住民税が、父の準確定申告で発生し、相続財産から払う。実家を残すために限定承認して、その実家の含み益に230万円かかる。そして、先買権で実家を取得するには、鑑定人の評価額で買い取る必要があり、その代金も用意しなければならない。
最後に、借金の調査を先にやることにしました。取引先には長男が一軒ずつ電話し、請求書を送ってもらい、六週間で全容が出ました。取引先への未払いが合計約340万円。銀行800万円、連帯保証1,200万円と合わせて約2,340万円。財産は実家1,800万円(評価額)と預金300万円、道具と車で約150万円、合計約2,250万円。ほぼ拮抗。ただ、連帯保証の1,200万円は、主債務者の知人が返済を続けていて、すぐに請求される状態ではありませんでした。母と長男は、単純承認を選び、銀行と取引先には実家を売らずに預金と道具の売却で払い、連帯保証は主債務者の返済を見守る、という形にしました。限定承認の申述は、しませんでした。
限定承認を検討するなら、3か月の期限の中で、まず弁護士に相談してください。相続放棄の記事で書いた「3か月ルール」と同じ時計が動いています。多くの場合、弁護士との相談の結果は「借金の調査をしてから、放棄か単純承認かを決める」に落ち着きます。限定承認は、その調査でも分からなかったときの、最後の道具です。
限定承認は、選択肢として最後まで机の上にありました。使わなかった理由は、六週間で借金の全容が分かったからで、分からなければ、230万円の税金を払ってでも使っていたと思います。「借金の調査をしてから、放棄か単純承認かを決めるに落ち着く」と本文に書きました。この家も、そこに落ち着きました。限定承認は、調査でも分からなかったときの最後の道具で、道具を持っていることと、使うことは、別です。
執筆:長澤 湊(宅地建物取引士・行政書士・測量士補) 内容確認日:2026-09-16
この記事は制度と手続きの一般的な説明で、個別の事案についての法律・税務の相談や判断ではありません。制度や数字は内容確認日の時点のものです。ご自身の事案は、弁護士・司法書士・税理士・行政書士など、該当する専門家に確かめてください。