土地・不動産 2026-09-09

手付金と契約解除 ― 不動産売買で、やめたいときに何が起きるか

契約のときに払う手付金は、何のためのお金か。手付放棄と手付倍返しによる解除、その期限になる「履行の着手」、ローン特約による白紙解除、違約金、クーリングオフが使える場合。不動産売買で「やめたい」となったときに起きることを、宅建士の実務目線で整理します。

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この記事の位置: まず読む:値段と書類の読み方 → [買う前に確認すること] → 建てられるか・どれだけ建つか → 境界・隣地・道 → 災害と地盤 → 持っている間:税金と登記 → 売るとき → 貸す・借りる・特殊な権利

「明日がローン特約の期限なんですが、銀行の審査結果がまだ来ません」。夕方に、家を買う予定の30代の男性から電話がありました。代金3,200万円、手付金160万円。特約の期限は翌日。銀行は「あと二、三日かかる」と言っている。「期限を過ぎて審査が落ちたら、160万円は戻らないんですよね」。戻りません。この記事は、その夜に何をしたかの話です。

不動産の売買契約では、契約と同時に買主が売主に「手付金」を払います。代金の一部に充てられるお金ですが、それだけではありません。手付金の一番の役割は「契約をやめるときのルール」を決めることです。ここを理解していないと、やめたくなったときに思わぬ損をします。

民法では、手付は原則として「解約手付」と扱われます。買主は手付金を放棄すれば(手付放棄)、売主は受け取った手付金の倍額を返せば(手付倍返し)、理由を問わず契約を解除できます。代金3,000万円で手付金300万円なら、買主は300万円を捨てれば、売主は600万円を払えば、契約から抜けられる。この仕組みが解約手付です。

ただし、いつまでもできるわけではありません。相手方が「履行に着手」したあとは、手付による解除はできなくなります。履行の着手とは、売主なら所有権移転登記の準備を始めた、引き渡しのために建物を空けた、買主なら中間金を払った、といった、契約の実行に向けて具体的に動き出したことを指します。契約書には「〇月〇日までは手付解除ができる」と期限を書くのが実務の標準で、その日を過ぎると、やめるには次に書く違約金の話になります。

手付倍返しには、もう一つ条件があります。民法557条は、売主は倍額を「現実に提供して」解除できると書いています。電話や手紙で「倍返しで解除します」と伝えるだけでは足りず、倍額のお金を実際に用意して、買主が受け取れる状態で差し出す必要があります。また、この条文は2020年4月施行の改正で「その相手方が契約の履行に着手した後は、この限りでない」と書き直されました。手付解除ができなくなるのは相手が着手したときで、自分が先に準備を始めていても、相手がまだなら解除はできます。売主が業者の場合は、宅建業法39条2項で、どんな名目の手付でも解約手付として扱われ、これより買主に不利な特約は無効になります。

契約から決済まで ― 期限を一つ過ぎるごとに、やめるときのお金が変わる
契約から決済まで ― 期限を一つ過ぎるごとに、やめるときのお金が変わる左から、契約日(手付金160万円)、手付解除の期限、ローン特約の期限、決済・引渡し。手付解除の期限までは手付放棄か倍返しでやめられ、ローン特約の期限までに審査が否決されれば白紙で手付金は全額戻る。期限を過ぎてからやめると違約金になり、この契約では代金の10%で320万円。 契約日 手付金160万円手付金160万円 手付解除の期限手付解除の期限 ローン特約の期限ローン特約の期限 決済・引渡し 手付放棄・倍返し手付放棄・倍返し 買主は160万円を失う買主は160万円を失う ローン否決なら白紙ローン否決なら白紙 手付金は全額戻る手付金は全額戻る やめるなら違約金やめるなら違約金 320万円(代金の10%)320万円(代金の10%)

左から、契約日(手付金160万円)、手付解除の期限、ローン特約の期限、決済・引渡し。手付解除の期限までは手付放棄か倍返しでやめられ、ローン特約の期限までに審査が否決されれば白紙で手付金は全額戻る。期限を過ぎてからやめると違約金になり、この契約では代金の10%で320万円。

この記事の相談例の数字です。手付解除の期限とローン特約の期限の前後は契約ごとに違います。手付解除は、期限の前でも相手が履行に着手したあとはできません。

手付金の額に法律上の上限はありませんが、売主が宅地建物取引業者の場合は、宅建業法で代金の20パーセントまでと決められています。また、業者が売主で手付金が代金の10パーセント(未完成物件は5パーセント)を超える、または1,000万円を超える場合には、業者は手付金を保全する措置(銀行の保証や保険)を取らなければなりません。個人同士の売買にはこの規制はなく、5〜10パーセント程度が多い印象です。

契約の前に払う「申込金」(申込証拠金)は、手付金とは別のものです。購入の申込みのときにお金を預けることがありますが、これは契約が成立する前の預り金で、契約に至らなければ返ってくるお金です。宅建業法施行規則16条の11は、業者が、申込みを撤回した人に預り金の返還を拒むことと、手付を放棄して解除しようとする人を正当な理由なく拒むことを禁じています。「申込金は返せません」と言われたら、それは手付金ではないはずです、と確かめてください。

手付解除の期限を過ぎてからやめる場合や、相手が契約を守らない場合は「債務不履行による解除」になり、損害賠償の話になります。多くの契約書では、あらかじめ違約金を代金の10〜20パーセントと定めています。売主が業者の場合、違約金と損害賠償の合計は代金の20パーセントを超えてはならないと宅建業法で決まっています。手付放棄が「理由を問わずやめられる安全弁」であるのに対し、違約金は「約束を破った代償」です。同じ「やめる」でも、期限の前後で性格がまったく違います。

「やめる」の種類と、そのときに動くお金
場面やめ方買主が失う/受け取るもの使える期限
理由を問わずやめたい(買主)手付放棄手付金を失う相手の履行の着手まで(契約書の期限)
理由を問わずやめたい(売主)手付倍返し買主は手付金の倍額を受け取る同上
ローンが通らなかったローン特約による解除手付金は全額戻る特約の期限まで、書面で通知
期限後にやめる/相手が契約を守らない債務不履行による解除違約金(代金3,200万円なら10%で320万円、20%で640万円)―
業者が売主で、事務所以外で契約したクーリングオフ手付金は全額戻る書面で告げられた日から8日

買主にとって最も重要なのが「ローン特約」です。住宅ローンの審査が通らなかった場合に、手付金を全額返してもらって契約を白紙に戻せる特約で、ほとんどの住宅売買契約に付いています。ここで見るのは三つ。特約の期限(〇月〇日まで)、対象になる金融機関と借入額が具体的に書かれているか、そして解除の手続き(期限内に書面で通知する必要があるか)。期限を過ぎてから「ローンが通らなかった」と言っても特約は使えず、手付放棄か違約金になります。重要事項説明の記事でも書きましたが、ここを読み落として手付金を失う例は毎年見ます。

ローン特約の条文には、書き方が二つあります。一つは、審査が通らなかったときに契約が自動的に効力を失う書き方(解除条件型)。もう一つは、審査が通らなかったときに、買主が期限までに解除を申し出ることで白紙になる書き方(解除権留保型)です。後者では、期限内に書面で解除を通知しないと、審査が否決されていても特約が使えないことがあります。どちらの書き方かは、特約の条項が「効力を失う」で終わるか「解除することができる」で終わるかで見分けます。また、買主が必要な書類を出さない、借入額を自分で増やすなど、買主の側で審査を通らなくした場合は、特約による解除が認められないことがあります。

クーリングオフが使える場合も書いておきます。売主が宅地建物取引業者で、契約を業者の事務所以外の場所(自宅や喫茶店、モデルルームでない現地など)で結んだ場合、書面で告げられた日から8日以内なら、理由なく無条件で解除でき、手付金は全額戻ります。個人が売主の取引や、事務所で契約した場合には使えません。

現場でしたことは一つ、その夜のうちに、仲介の不動産会社に「ローン特約の期限を一週間延ばす」合意を、売主との間で書面にしてもらったことです。特約の期限は契約書に書かれた日付で、当事者が合意すれば変えられます。仲介会社は売主に連絡し、売主は「審査待ちなら」と応じ、翌朝、変更の覚書に三者が署名しました。三日後、審査は承認され、契約は予定どおり進みました。もし覚書がなく、期限の翌々日に審査が否決されていたら、手付放棄で160万円を失うか、契約を続けて払えないローンを組むか、どちらかでした。

この契約の数字で、それぞれのやめ方にかかるお金を並べます。代金3,200万円、手付金160万円(代金の5%)、違約金は契約書で代金の10%の320万円と決めてあり、手付金を違約金に充てる定めでした。ローン特約が期限内に使えれば、買主の負担は0円で、手付金160万円は全額戻ります。手付解除の期限内に買主が手付放棄でやめれば、失うのは160万円。売主が手付倍返しでやめるなら、売主は320万円を買主に払い、うち160万円は預かっていた手付金の返還なので、売主の持ち出しは160万円です。期限を過ぎて買主の都合でやめれば違約金320万円で、手付金160万円を充てたうえで、さらに160万円を払うことになります。同じ「やめる」でも、0円から320万円まで開きます。

この契約(代金3,200万円・手付金160万円・違約金10%)で、やめ方ごとに出ていくお金
やめ方誰が払うか払う額手付金160万円の扱い
ローン特約で白紙(期限内)―0円全額戻る
買主の手付放棄(手付解除の期限内)買主160万円失う(これで全部)
売主の手付倍返し(同上)売主320万円(持ち出しは160万円)320万円のうち160万円が手付の返還
買主の都合で期限後にやめる買主違約金320万円160万円を充て、さらに160万円を払う

逆の例も書いておきます。売主側の話です。契約後に、別の買主から300万円高い申込みがあった。売主は「今の買主に手付を倍返しすれば解除できる」と聞いて、相談に来ました。手付金150万円の倍額300万円を払えば、たしかに解除できます。ただし、買主が「履行に着手」する前に限ります。買主はすでに、引っ越し業者と契約し、リフォームの見積もりを取り、ローンの本申込みを済ませていました。これらが履行の着手に当たるかは争いになる材料で、当たると判断されれば手付解除はできず、違約金(代金の20%、600万円)の話になります。300万円高い申込みのために、最大600万円の違約金と紛争のリスクを負う計算になり、売主はやめました。

クーリングオフの例も一つ。新築分譲の現地で、営業担当の車の中で契約した人が、翌日「やめたい」と来ました。売主は業者、契約場所は事務所でもモデルルームでもない。クーリングオフの対象で、書面で告げられた日から8日以内だったので、書面で通知して無条件解除、手付金は全額戻りました。事務所で契約していたら、この道はありませんでした。

実務でのまとめです。契約前に、手付金の額、手付解除の期限、ローン特約の期限と条件、違約金の額、この四つを契約書の中で指で押さえてください。「やめたくなったら、いつまでに、いくらで、どうやって」が答えられる状態で判を押す。それが、手付金をめぐる損失を防ぐ一番の方法です。

夕方の電話の男性が、あとで「期限を延ばせるなんて知らなかった」と言いました。知らなくて当然で、契約書に「延ばせる」とは書いてありません。書いてあるのは期限だけです。だから本文の最後に、四つを「指で押さえてください」と書きました。手付金の額、手付解除の期限、ローン特約の期限と条件、違約金の額。押さえた指の位置が分かっていれば、期限の前日の夕方に、打つ手が残ります。

執筆:長澤 湊(宅地建物取引士・行政書士・測量士補) 内容確認日:2026-10-02

この記事は制度と手続きの一般的な説明で、個別の事案についての法律・税務の相談や判断ではありません。制度や数字は内容確認日の時点のものです。ご自身の事案は、弁護士・司法書士・税理士・行政書士など、該当する専門家に確かめてください。

参考(公式)

この記事の制度と数字は、次の一次情報で確かめられます(2026-10-02 確認)。

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