相続・手続き 2026-09-09

認知症の相続人がいるとき ― 成年後見と遺産分割、後見が始まると何が変わるか

相続人の一人が認知症で、遺産分割協議の内容を理解できない。その協議は無効になります。代わりに判断する人を家庭裁判所に選んでもらうのが成年後見です。三つの類型、申立ての手順と費用、後見人が遺産分割でできること・できないこと、後見が相続後も続く現実、そして生前にできる備えを整理します。2026年6月に成立した民法改正(後見・保佐を補助に一本化)は施行前で、この記事は今の制度の説明です。

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この記事の位置: 亡くなる前にできること → 亡くなってすぐ(3か月まで) → 相続人と財産を確定する → 分け方を決める → 名義を変える・税金(10か月〜3年) → 相続した財産をどうするか → [状況別(当てはまる方だけ)]

父が亡くなって二か月。三人きょうだいの長男から電話がありました。「母は施設にいて、もう名前も書けません。父の家を私の名義にしたいんですが、母のハンコをこちらで押してはいけないんですよね」。いけません、と答えました。それをすると、あとで協議が無効になるだけでなく、私文書偽造の話になります。この記事は、その電話から始まった八か月の話です。

相続の相談で年々増えているのが、「母が認知症で、父の遺産分割ができない」という形です。遺産分割協議は相続人全員の合意が要り、その合意には内容を理解して判断する能力(意思能力)が要ります。理解できない人の署名や実印は、あとから無効とされるおそれがあり、法務局も金融機関も受け付けません。本人の代わりに判断する人を、家庭裁判所に選んでもらう必要があります。それが成年後見制度です。

成年後見には、本人の判断能力に応じて三つの類型があります。判断能力がほとんどない場合の「後見」、著しく不十分な場合の「保佐」、不十分な場合の「補助」です。遺産分割協議のような重要な法律行為は、後見なら後見人が本人に代わって行い、保佐・補助なら保佐人・補助人の同意を得て本人が行う、または代理権を付けて行います。どの類型になるかは医師の診断書をもとに家庭裁判所が判断します。

法定後見の三つの類型(2026年9月時点。2026年6月成立の改正法の施行前)
類型本人の判断能力遺産分割協議は誰がするか多い場面
後見ほとんどない後見人が本人に代わって行う認知症が進んだ親
保佐著しく不十分本人が行い、保佐人が同意(代理権を付けることも可)重要な判断に不安がある
補助不十分本人が行い、必要な範囲で補助人が同意・代理日常は自立、一部の判断に支援が要る

申立ては、本人の住所地の家庭裁判所に対して、本人、配偶者、四親等内の親族などが行います。必要なのは、申立書、本人の戸籍と住民票、医師の診断書、財産や収支の資料、後見人候補者の情報など。費用は申立手数料が800円、登記手数料が2,600円、連絡用の郵便切手が数千円で、判断能力を確認するための鑑定が必要と判断されれば5〜10万円程度の鑑定費用が加わります。申立てから後見開始まで、数か月かかるのが普通です。相続税の申告期限(10か月)に間に合わせるなら、亡くなってすぐに動く必要があります。

相続が起きてから後見で協議するまで

  1. 相続開始 相続人に判断能力の不安がある人がいる(本人の署名・実印での協議は無効のおそれ)
  2. すぐに 家庭裁判所へ後見開始の申立て(診断書・財産資料・候補者。手数料800円+登記2,600円+切手、鑑定なら5〜10万円)
  3. 数か月後 後見開始・後見人が決まる(後見人が相続人でもあれば特別代理人が必要)
  4. 10か月以内 遺産分割協議・相続税の申告(本人の法定相続分を確保する内容でないと後見人は同意できない)

後見人には、親族が選ばれる場合と、行政書士・司法書士・弁護士・社会福祉士などの専門職が選ばれる場合があります。財産が多い、親族間に対立がある、といった事情があると専門職が選ばれやすく、その場合は本人の財産から報酬(家庭裁判所が決めます。東京家庭裁判所が公表している目安では、基本は月2万円、管理する財産が1,000万円を超え5,000万円以下なら月3〜4万円、5,000万円を超えると月5〜6万円)が支払われます。誰を後見人にするかは申立人が希望を出せますが、決めるのは裁判所です。

遺産分割では、後見人は本人の利益を守る立場で参加します。原則として、本人の法定相続分を下回る分割には応じられません。「母は施設にいるから、家は長男が全部取る」という家族の希望があっても、後見人はそれに同意できず、母の法定相続分(配偶者なら2分の1)を確保する内容でなければ協議はまとまりません。家族の常識と後見の原則がぶつかる、最も多い場面です。

さらに、後見人自身が相続人でもある場合(たとえば長男が母の後見人で、父の相続人でもある)は、母と長男の利益が相反するので、長男は母の代理ができません。後見監督人がいればその人が、いなければ家庭裁判所に特別代理人を選んでもらって、その人が母の代わりに協議に参加します。手続きがもう一段増えます。

知っておいてほしいのは、後見は遺産分割が終わっても終わらない、ということです。一度始まった後見は、本人の判断能力が回復するか、本人が亡くなるまで続きます。専門職後見人なら報酬も続きます。「相続のためだけに後見を始めたら、そのあと十年続いた」という話は、実務で珍しくありません。それでも協議が必要なら申し立てるしかないのですが、始める前に、この先も続く制度だと理解しておいてください。なお、2026年6月に民法の改正が成立し(同月24日公布)、後見と保佐をやめて補助に一本化すること、利用の必要がなくなったときに制度の利用を終えられるようにすることが決まりました。施行は公布から2年6か月以内の政令で定める日で、2026年9月時点ではまだ始まっていません。この記事は、施行前の今の制度で書いています。

まず期限を確かめました。父の財産は自宅(評価額2,500万円)と預貯金3,000万円。相続人は母と子三人で、基礎控除は3,000万円+600万円×4人で5,400万円。財産5,500万円は控除を少し超えるので、相続税の申告が要り、期限は亡くなってから10か月。後見の申立てから開始まで通常三〜四か月かかるので、二か月経った時点で、もう余裕はありませんでした。翌週、長男が母の住所地の家庭裁判所に後見開始の申立てをしました。医師の診断書は「後見相当」、鑑定は不要と判断され、申立てから約四か月で後見が開始しました。

後見人には、長男ではなく司法書士が選ばれました。理由は二つ。長男自身が父の相続人で、母と利益が相反すること。そして、きょうだいの一人が「兄が母の財産を管理するのは不安だ」と裁判所に意見書を出したこと。専門職後見人の報酬は月3万円、母の預金から支払われます。長男は「自分が後見人になれると思っていた」と言いましたが、相続人が後見人になっても、この協議では特別代理人が要るので、結果は同じでした。

遺産分割協議は、後見人が母の代理として参加しました。長男の当初の希望は「家は長男、預貯金は子三人で分ける。母は施設だから何もいらない」でした。後見人はこれに同意しません。母の法定相続分は2分の1、つまり2,750万円分を母が確保する内容でなければ、後見人は署名できないからです。最終的に、母は預貯金のうち2,750万円を取得し(施設の費用に充てる)、自宅は長男が取得、残りの預貯金250万円を子三人で分ける、という形でまとまりました。長男が家を取る代わりに、母や弟妹への代償金は発生しませんでしたが、「家族で決めたはずの配分」は、母の取り分の分だけ動きました。申告は期限の一週間前に間に合いました。

生前にできる備えを書いておきます。一つ、遺言です。遺言で誰が何を取得するかが決まっていれば、遺産分割協議そのものが不要になり、認知症の相続人がいても手続きが進みます。二つ、任意後見です。本人が元気なうちに、判断能力が落ちたときの後見人と権限を公正証書で決めておく制度で、裁判所が選ぶ法定後見より本人の意思が反映されます。三つ、家族信託。財産の管理を信頼できる家族に託す契約で、後見より柔軟ですが、設計に専門家が要ります。どれも「まだ元気なうち」にしかできません。相続の相談で「もっと早く言ってくれれば」と思う場面の多くは、ここです。

母の後見は、その後も続きました。協議が終わって六年、母が亡くなるまで、司法書士の後見人が毎月報酬を受け取り、年に一度、家庭裁判所に報告を出しました。六年分の報酬は200万円を超えます。長男が最後に言ったのは「父が遺言を一枚書いていれば、後見もいらなかったんですよね」でした。その通りです。父の遺言で配分が決まっていれば、母の意思能力は問題にならず、協議そのものが不要でした。この記事で一番伝えたいのは、後見の申立て方ではなく、後見が要らない準備は「元気なうち」にしかできない、ということです。

執筆:長澤 湊(宅地建物取引士・行政書士・測量士補) 内容確認日:2026-10-02

この記事は制度と手続きの一般的な説明で、個別の事案についての法律・税務の相談や判断ではありません。制度や数字は内容確認日の時点のものです。ご自身の事案は、弁護士・司法書士・税理士・行政書士など、該当する専門家に確かめてください。

参考(公式)

この記事の制度と数字は、次の一次情報で確かめられます(2026-10-02 確認)。

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