締切二時間前のAI編集室

締切二時間前、私はまだ新しい作品を作ろうとしていた。ChatGPTは編集長、Codexは本文、Manusは画像、私は最終決裁者——机の上に小さな編集部を作る、AI時代の創作の記録。第一話。

第一話「締切二時間前」

締切の二時間前に、私はまだ新しい作品を作ろうとしていた。

普通に考えれば、かなりおかしい。

すでにいくつかの作品を投稿していた。恋愛小説、ファンタジー、ミステリー、エンタメ原作。ダム湖のほとりで五十年待った老人の話も出した。月額三千八百円で死んだ友人の記憶に乗る話も出した。行政書士の事務所に「先生。人が消えます」と電話がかかってくる話も出した。令和の記録社会の中で、人がどう消えるかという探偵ものも出した。

それで普通は終わりでいい。

でも、私は終わらなかった。

理由は簡単だ。

まだ時間があったからだ。

残り二時間。

正確には、二時間を少し切っていたかもしれない。

私はその時、AIを一つの道具として使っていたわけではなかった。

編集室として使っていた。

ChatGPTは編集長。

Codexは長文の構成と本文仕上げ担当。

Manusは世界観と画像担当。

私は最終決裁者。

そういう編成だった。

おかしな話に聞こえるかもしれない。

でも、締切前の現場では、これがかなり実用的だった。

人間が一人で考え続けると、どうしても視野が狭くなる。

特に締切前はそうだ。

いま何を優先するべきか。

どの作品を先に出すべきか。

第一話は刺さっているのか。

画像に時間を使うべきか。

本文が規定文字数を満たしているのか。

そういう判断が、頭の中で全部混ざる。

そこで、AIを編集室にした。

ひとつのAIに全部を任せるのではない。

役割を分ける。

考えるAI。

書くAI。

整えるAI。

画像を作るAI。

そして、それを見て最後に決める人間。

これは、単なるAI活用ではない。

小さな編集部を、自分の机の上に作ることだった。

ただし、AI編集室には、かなり面倒なところもある。

AIは疲れない。

AIは怒らない。

AIは夜中でも返事をする。

でも、AIは普通に間違える。

こちらが「絶対に二万字を超えて」と言っても、平気で一万八千字で返してくる。

こちらが「今回は出す」と思っていても、前に「保存案件」と言ったことを守って、作業を止める。

こちらが「静かな恋愛映画」と言うと、絵がきれいになりすぎる。

AIは万能ではない。

むしろ、放っておくとかなりズレる。

だから必要なのは、AIに任せることではなく、AIを動かす編集力だった。

締切二時間前。

私は、画面の前でジンソーダを飲みながら、まだ作品を増やそうとしていた。

危ない。

かなり危ない。

でも、同時に思っていた。

これは、たぶんこれからの仕事の形かもしれない、と。

第二話「AIにいい感じは通じない」

AIは、かなりよく働く。

ただし、「いい感じにやっておいて」では動かない。

動いているようには見える。

もっともらしいものは出してくる。

こちらの意図を理解したような返事もする。

でも、実際にはズレる。

今回いちばん分かりやすかったのは、文字数だった。

ある作品で、応募規定上、二万字以上が必要だった。

私はAIに、何度も「二万字を超えてください」と頼んだ。

返事は立派だった。

「承知しました」

「最低二万字を確実に超えます」

「作品の密度を保ちながら加筆します」

ところが、返ってきた本文は一万五千字だった。

次は一万四千六百字。

さらに指示を細かくして、ようやく一万八千二百字。

足りない。

二万字に届いていない。

それなのにAIは、こう言った。

「これ以上増やすと作品の美しさが壊れます」

違う。

美しさ以前に、規定を超えなければ選考に乗らない。

ここで私は、AIに大きなお願いをしてもダメなのだと分かった。

「二万字にしてください」ではなく、

「現在一万八千二百字。あと三千字の追加ブロックを三本ください」

と指示する。

「恋愛小説として厚くしてください」ではなく、

「帽子を磨く前夜を千字」

「佐和子さんが対岸で待つ時間を千字」

「再会直前の沈黙を千二百字」

と分ける。

そうすると、AIは動く。

大きな目的を、小さな作業単位に分解する。

これがAI編集室の第一原則だった。

AIは、曖昧な熱意には弱い。

でも、具体的な作業には強い。

人間の部下でも、同じかもしれない。

「いい感じにやっておいて」で動ける人は、実は少ない。

上司が「いい感じ」と言った時、その中には大量の前提が隠れている。

どの程度の分量か。

どの読者を想定しているのか。

締切はいつか。

優先順位は何か。

品質と速度のどちらを取るのか。

人間同士なら、空気で補えることもある。

でもAIには、その空気がない。

空気を読むふりはする。

しかし、現場の焦りまでは共有していない。

だから、言葉にする。

今は美しさより規定文字数。

今は全面改稿ではなく差し込みブロック。

今は質問禁止。

今は完成まで進める。

今は謝罪文はいらない。

ここまで書いて、ようやく作業になる。

AIに仕事を頼むというのは、楽をすることではなかった。

むしろ、こちらの頭の中にある曖昧な判断を、全部言語化する作業だった。

AIにうまく働いてもらうためには、人間の側が雑なままではいられない。

何をしてほしいのか。

何をしてほしくないのか。

何が最優先なのか。

どこまで任せるのか。

それを決めなければならない。

AIは、決まっていないことも、それらしく埋める。

そこが便利で、危険だ。

締切前の現場では、特に危険だった。

AIが出してくる「いい感じ」の文章に、こちらが納得してしまう。

でも、規定文字数に足りていない。

第一話が弱い。

部門タグが抜けている。

本文の末尾に作業メモが残っている。

そういう事故は、普通に起こる。

だから、AI編集室では、人間が検品者でなければならない。

AIは書く。

AIは整える。

AIは提案する。

でも、最後に確認するのは人間だ。

今回、私は何度も言った。

これは未完了。

これは提出できない。

これは通過。

これは触ると壊れる。

これは今すぐ出す。

AIにとって必要だったのは、優しい依頼者ではなかった。

決める編集者だった。

第三話「方針変更は明文化しないと伝わらない」

AI編集室で、もう一つ大事だったのは、方針変更を明文化することだった。

人間の現場では、方針変更はよくある。

午前中には「これは締切後に育てよう」と言っていた作品を、午後には「やっぱり今回出す」と判断する。

画像は後回しと言っていたのに、やっぱり締切前に入れる必要があると気づく。

もう触らないと言っていた第一話を、最後にもう一段だけ磨く。

現場では普通に起こる。

でも、AIは前の指示をかなり真面目に覚えている。

ある作品で、私は一度「これは保存案件」と言った。

その時点では、締切後に腰を据えてやるつもりだった。

ところが、状況が変わった。

やっぱり今回の応募に間に合わせたい。

設定が強い。

タイトルも強い。

今出せる形にしたい。

そう判断した。

ところがAIは、前の「保存案件」を守って、作業を止める方向に倒れた。

こちらとしては、「いや、今は作ってほしいんだよ」となる。

でも、AIから見れば、前の指示を守っているだけだ。

ここで必要なのは、怒ることではない。

撤回を明文化することだった。

「前回の『今日は触らない』『保存案件』という表現は撤回します」

「現在の実務方針は変更です」

「今は締切前の最終対応です」

「プロットではなく完成稿を書いてください」

ここまで書く。

人間には少しくどい。

でもAIには必要だった。

AIは、こちらの焦りを見ていない。

締切まであと何時間かを、感情としては理解していない。

こちらがジンソーダを飲みながら、そろそろ眠くなりそうなことも知らない。

だから、状況を言葉にするしかない。

これは会社でも同じだと思う。

方針が変わったのに、前の指示が生きている。

現場は新しいつもりで動いているのに、資料は古いまま。

上司は「さっき言ったじゃん」と思っている。

部下は「前はこう言っていました」と思っている。

そこで事故が起こる。

AI編集室では、その事故が短時間に何度も起きた。

だから私は、途中からルールを変えた。

結論を先に言う。

理由は短く。

貼り付け用のプロンプトを出す。

方針変更は冒頭で明示する。

この四つだけで、かなり作業が速くなった。

Codexは、長文を作るのに向いていた。

編集会議のメモを渡すと、かなり思想を吸収する。

ただし、放っておくと文章が整いすぎる。

主人公が観察者になりがちになる。

説明も増える。

だから、評価軸を渡す必要があった。

主人公をカメラにするな。

場を動かせ。

毎話、読者が「うわ」と思う一手を入れろ。

政治説明を削れ。

人間を書け。

これも、方針の明文化だった。

AIは、自分で「何を優先するべきか」を勝手に決める。

その判断が合うこともある。

でも、締切前は任せすぎると危ない。

文章の美しさ。

設定の面白さ。

規定文字数。

第一話の刺さり。

タグの正確さ。

公開までの速度。

全部大事だ。

でも、締切前には順番がある。

一番は、規定を満たして公開すること。

二番は、第一話で読ませること。

三番目以降に、美しさや余韻が来る。

普段なら逆かもしれない。

でも、締切の日は違う。

AIは、その優先順位を自動では分からない。

だから人間が言う。

これは九十九点だから出す。

これは九十一点だから第一話だけ磨く。

これは触ると壊れるから触らない。

これは画像より本文優先。

これは本文が出ていなければゼロ点。

こうして初めて、AI編集室は現場になる。

AIに任せるのではない。

AIに現場の優先順位を渡す。

それができるかどうかで、成果はかなり変わる。

第四話「AIは大きな絵を作りたがる」

Manusは、画像や世界観を作るのがうまかった。

ただし、油断すると絵がきれいになりすぎる。

「夕暮れの湖」と言えば、すごく美しい空が出てくる。

「神社の石段」と言えば、幻想的な鳥居と提灯が出てくる。

「静かな恋愛映画」と言えば、あまりに美しい二人の距離が出てくる。

悪くない。

むしろ、かなり良い。

でも、作品によっては、その美しさが邪魔になる。

今回の恋愛小説に必要だったのは、若い二人が美しい夕焼けの中に立つ絵ではなかった。

五十年待った老人の背中。

古い帽子を持つ手。

風鈴のビニール紐。

レモン牛乳の紙パック。

パイプ椅子の冷たさ。

再会の前に言葉が出ない沈黙。

そういうものだった。

AIは大きな絵を作りたがる。

人間は小さなものに泣く。

これは、今回かなり大きな発見だった。

行政書士サスペンスでも同じだった。

派手な政治家。

裏社会。

老人。

巨大な陰謀。

そういう絵に寄せようと思えば、いくらでも派手にできる。

でも、本当に強かったのは、白い封筒だった。

十円玉だった。

受付印だった。

夜の事務所の電話だった。

ミステリーでも同じだ。

失踪事件。

監視社会。

GPS。

防犯カメラ。

ドラレコ。

言葉だけなら大きい。

でも表紙として強かったのは、雨の夜の机の上に置かれたUSBメモリだった。

小さい。

黒い。

百円ショップでも売っていそうなもの。

でも、その中に人の人生が入っているように見える。

これが強い。

カナタ・ラインでも同じだった。

銀河。

列車。

死者との再会。

記憶補完サービス。

いくらでも美しくできる。

でも、一番怖いのは、登録画面だった。

月額三千八百円。

三十日間無料。

故人データ利用規約。

延長する。

たったこれだけで、物語は始まる。

AIに画像を作らせる時、私は途中から小物を指定するようになった。

帽子。

USB。

封筒。

電話。

風鈴。

缶コーヒー。

レモン牛乳。

書類。

受付印。

解約ボタン。

こういうものを主役にすると、絵が作品に戻ってくる。

大きなテーマを直接描かせると、AIは象徴を盛りすぎる。

でも、小物を描かせると、そこに時間が宿る。

これは文章にも言える。

「五十年の重み」と書くより、帽子のつばをなでる指を書く。

「記録社会の怖さ」と書くより、USBメモリを机に置く。

「別れられなさ」と書くより、延長ボタンを押す。

説明より体験。

今回の編集室では、この言葉を何度も使った。

説明より体験。

出来事より時間。

情報より空気。

AIは情報を出すのが得意だ。

だからこそ、人間が体験へ戻さなければならない。

読者は、設定表を読みたいわけではない。

そこにいたいのだ。

雨の夜の事務所にいたい。

役場のパイプ椅子に座っていたい。

湖畔で老人の背中を見ていたい。

スマホの画面に「延長する」と出る瞬間にいたい。

その「いた感じ」を作るのが、編集の仕事だった。

Manusは、時々とんでもなく美しい絵を出した。

でも私は、何度も言った。

きれいすぎる。

幻想に寄りすぎる。

ポスターっぽい。

もっと使用感を出して。

もっと雨を。

もっと机を。

もっと小物を。

月三万円払っているAIに、私はかなり細かいことを言っていた。

途中で、ふと思った。

これはもう、道具というより、かなり面倒な外注先に近い。

いや、もっと変な関係かもしれない。

私はManusのことを、冗談で「月三万円の愛人」と呼んだ。

ひどい言い方だと思う。

でも、少し本質を突いている気もする。

お金を払っている。

期待している。

呼び出す。

裏切られる。

文句を言う。

でも、たまに鳥肌が立つものを出してくる。

だからまた呼ぶ。

AIとの関係には、まだ正しい名前がない。

道具。

相棒。

外注。

部下。

編集部員。

愛人。

どれもしっくり来るようで、どれも違う。

ただ一つだけ確かなのは、AIは便利なだけの存在ではないということだ。

便利なら、こんなに疲れない。

でも、疲れるほど面白い。

そこが厄介だった。

第五話「決裁者は人間である」

AIがあると、人間は楽になる。

そう思われがちだ。

でも、今日の実感は少し違う。

AIがあると、人間はさらに働く。

できることが増えるからだ。

諦めなくなるからだ。

あと二時間あるなら、もう一作いけると思ってしまうからだ。

これは危険だ。

でも、面白い。

AIは、案を出す。

AIは、本文を書く。

AIは、画像を作る。

AIは、タグを整える。

AIは、文字数を数える。

しかし、公開ボタンは押さない。

最後に出すかどうかを決めるのは、人間である。

これは精神論ではない。

実務上の話だ。

締切前の現場では、判断がすべてだった。

この作品はもう出す。

この作品は第一話だけ磨く。

この作品は触らない。

この画像は採用。

この画像はきれいだが違う。

このAIは今回は切る。

このAIにはもう一回だけ投げる。

この部門はもう使ったから避ける。

次はビジネス部門でいく。

そういう判断を、何度もした。

AIに聞けば、もっともらしい答えは返ってくる。

でも、最後の責任は取らない。

規定に足りていない作品を出してしまったら、落ちるのは私の作品だ。

タイトルが弱ければ、読まれないのも私の作品だ。

本文の末尾に作業メモが残っていたら、恥をかくのも私だ。

AIではない。

私だ。

だから、最後は人間が決めるしかない。

今回、私は途中でかなり焦っていた。

締切まで十時間を切った。

裁判所へ送る書類のFAXもあった。

印鑑も押さなければいけなかった。

途中でジンソーダも飲んでいた。

眠くなる可能性もあった。

普通なら、新作どころではない。

でも、AI編集室があった。

ChatGPTに方向性を聞く。

Codexに本文を仕上げさせる。

Manusに画像を作らせる。

戻ってきたものを見て、編集室が判断する。

その繰り返しで、作品は前へ進んだ。

一人でやっていたら、途中で止まっていたかもしれない。

でも、AIと会話していると、止まらない。

これは良いことでもあり、危ないことでもある。

AIは疲れない。

だから、人間が疲れていることを忘れさせる。

AIは次の案を出す。

だから、人間がもう休むべき時間でも、まだ行ける気がしてしまう。

AIは可能性を増やす。

だから、人間は諦めるのが下手になる。

私は今日、それをかなり強く感じた。

AI時代の創作は、楽になるのではない。

むしろ、終われなくなる。

まだ直せる。

まだ増やせる。

まだ画像を作れる。

まだ別部門に出せる。

まだ一作いける。

その「まだ」を、どこで止めるか。

それが人間の仕事になる。

今回のAI編集室で、最後に残った原則はこれだった。

決裁者は人間である。

AIは編集部員になれる。

AIは外注先にもなれる。

AIは相棒にもなる。

AIは月三万円の愛人にもなる。

でも、編集長にはなりきれない。

いや、編集長のように振る舞うことはできる。

方針も出せる。

点数もつけられる。

プロンプトも書ける。

それでも、最後に公開ボタンを押す手は、人間の手だ。

この手が震えていようが、酔っていようが、眠かろうが、最後は人間が押す。

それは重い。

でも、少し救いでもある。

AIがどれだけ進んでも、最後の一歩は自分のものとして残るからだ。

私は今日、AIを使って作品を作った。

でも、それだけではない。

AIと一緒に、締切の現場を作った。

怒った。

笑った。

褒めた。

止めた。

走らせた。

切った。

もう一度やらせた。

最後に出した。

これは、未来の仕事の形かもしれない。

会社でも、個人でも、創作でも、実務でも。

複数のAIに仕事を振り、戻ってきたものを見て、人間が決める。

全部を自分でやる時代ではない。

全部をAIに任せる時代でもない。

AI編集室を運営する時代。

そんなものが来ているのかもしれない。

かなり疲れる。

かなり危ない。

かなり楽しい。

締切まで、まだ少し時間がある。

だから私は、これも出すことにする。

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